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◆◆刀夜(遥親)◆◆
◆◆お借りしています◆◆山元さん宅:戌福昭吉さん◆◆




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 ……狼は逃げていた。
 影を渡って逃げられれば良かったが、あいにく助けなければならない人がいる。影渡りは使えない。

『坊、そんな泣かんの。男の子やろ』

 ずっと励ましてくれた人だ。
 食事を分け合いながら、ともに生き延びた恩人だ。

『なんや坊、天照語わかるんか』

 ほな話そう。いっぱい話そう。
 異郷に連れてこられ、言葉も通じず、毎日毎日身体や中身の足し算や引き算をされながら死ねなかった。
 そんな日々、言葉が通じる同じ境遇の人間がいるだけで少しは保った。

『坊、そんな泣きよったら幸せが逃げてくで?』

 身体に穴が空いたのに幸せなんてどう探せばいいの。

『そか。なら坊、坊は思いっきり泣きぃ。おっちゃんは坊の分も笑うて、坊にくる幸せ分けたるけん』

 幸せなんて来ないよ、といえば、分からんやろうもん先のことはと笑っていた。
 いつも笑っていた。
 今日もしんどかったなあ、と笑っていた。

『……名前なんていうん、坊』

 笑っていた。

『そうかあ。遥親クンかあ。改めて、よろしゅうなあ』

 身体はバラバラになり、魂魄は混ざり、狼まで一緒になった身体になっても笑っていた。

『…………しんどかったなあ』

 励まされ、支えられた分を返すよ。
 脚がろくに動かなかったぼくは、狼の力を借りてやっと走ることができる。
 隙を伺い、牙を剥いて走って逃げた。幸い、ふねは他の実験体が暴れたおかげで混乱している。見知らぬ地だが、今よりはましだろう。

『………凄いなあ遥親クン。早いなあ、脚。走れるんやなあ……』

 そうだよ、走れる。だから頑張って。
 生きよう。生きられる。ぼくたちは、やっと自由になれたんだ。
 なのに刀夜の身体はどうして保たないの。ご飯が無いから?傷だらけだから?
 …たすけて。たすけて、誰か。

 狼は夜の街を走る。ひとの気配が濃くなったが、誰か、と声をあげれば喉から響くのはけだものの遠吠えだ。
 …これじゃだめ。言葉を思い出さなければ。刀夜、刀夜が喋れれば。
 あの言葉を忘れようとしなければ良かった。もっとお話ししたらよかった。
「なんじゃ。犬にしちゃあ珍しい鳴き方しよるのぉ」
 身を隠した裏路地に、ひょいと顔を見せたひとは懐かしい言葉で呼びかけてくれた。夜の闇に、片方だけの赤い眼がじいとこちらを見ている。
「怪我でもしとるんか」
「…怪我。怪我、し、とル」
 鸚鵡返しのように音を繰り返す。くぐもった獣の声でも、その人は呑気にそうか大変じゃのうと声をかけながら寄ってきた。…手には木刀を持ちながら、だが。
「たい、たいへん」
 懐かしい言葉。確か、天照の言葉。
 刀夜、刀夜、なつかし、ことば。
「……ね、がい、です」
 刀夜。力を貸して。
 狼の姿を人に変化させ、背に乗せていた刀夜が落ちないよう支えながら、請う。
「たスけて、くださイ…!」
 男は手の木刀はそのまま、じい、とこちらを見た。死にかけの得体の知れないモノ二人。…怪しいことこのうえない、が。
「おうよ」
 にかりと男は笑う。困った時は、お互い様じゃあ。
「もう少し頑張れるか」
「が、んばれ、る」
「ようし」
 ほなら来いや、とその人は手を差し伸べてくれた。

 ……それが五年前のこと。
 助けて貰った恩返しに、刀夜は香屋を始めた。この身体になる前に、そんな仕事をしていたらしい。
「……なあ遥親クン」
 刀夜は時々、遠い目をする。
 かつての故郷と今を重ねているのだろう。
「……なして、こんな綺麗なんかなぁ」
 刀夜はそうして、遠い目をする。
 そんな時の刀夜はきらいだ。だって、
「……なして、生きとるんやろうなぁ」
 死にたかったと言葉に含ませているようだから。
 ……かえりたいなぁ。
 どこに、だろう。


 遥親は今日も聞かぬふりをして紅葉を眺めた。
 …剛犬組の屋敷の庭で、焼き芋が始まる気配がする。そちらへ意識を向けて、刀夜の言葉を聞き流した。

 与えられる優しさは嬉しいのに。それを怖いと思ってしまうのはどうしてだろう。 僕たちは寄り添いながら、懐かしい筈の故郷で生きている。

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